黄巾の乱とは,簡単に言ってしまえば「農民たちの反乱」である。ただその規模が日本のチンケな反乱などとはケタが違う,壮大な規模で起きた反乱である。
それではこれからその反乱の全貌について説明していこう。
後漢末期,腐敗しきった政治に対して不満を持つものが多く存在していた。
そんな時代,ある人物が,老人から「太平要術」と呼ばれる書をもらう。
そう,これこそが黄巾の乱のそもそもの始まりなのである。
その人物は屋敷の門を閉ざし,その本を読みふけった。
そして,その人物はある日突然その人物は閉ざされていた門を開け,病人を治していった。
すると,その人物を慕うものたちが次々と集りはじめ,太平道と呼ばれる宗教結社をつくる。
そして,その頂点にたったのが「太平要術」を受け取った,張角である。
政治は乱れ,自然災害による飢饉が続出していたその時代。
突如現れた新宗教に救いを求める人が増え始めついには数十万を超える信者を持つようになる。
これが,黄巾賊(朝廷からしてみれば彼らは「賊」であった)である。名前の由来は張角がいつも髪留めに黄色い帯を使っていたのを信者が真似をし,黄色の集団となっていたからである。
トップには張角そして,弟の張宝,張梁がつくこととなる。
こうなってくると最初は相手にしていなかった後漢朝廷も巨大教団に対して脅威を覚え,弾圧を始めるようになる。
しかし,張角たちはそれをもろともせず,そればかりかこの腐敗しきった朝廷を倒し,国を乗っ取ってやろうと思うようになった。
そして,時は184年黄巾賊はついに一斉蜂起する。貧しい農民に,盗賊なども加わり,その数は又も膨れ上がることとなる。
黄巾賊は各地で反乱を始め,ついに首都洛陽まで迫ってくる。
こうなると朝廷は大慌てである。皇帝は幼く,実権を握っている宦官たちもまったく闘い方を知らない。宮中だけではどうしようもない状態だった。
そこで,彼らの手によって失脚させられていた,優秀な官僚たちが呼び戻された。
そんなこんなあり,彼らの功績によって,大乱は一年ほどで終息し,張角たちは討ち死にする。
だが,こういう集団はかなりしぶといもの,各地で残党が反乱をおこすのである。完全な平定ほまだまだ先の話である。
こんな時代三人の男が出会うこととなる。