三国時代の始まりー後漢の衰退ー

三国時代の始まりは,いろいろな意見もあるが,中国全土で起こった巨大な内乱,黄巾の乱を境に始まる。

その時代一応中国を統一していた王朝が後漢。

三国志を語る上で後漢の存在は重要です

ということでこれから後漢設立までの経緯を紹介しましょう。

 後漢王朝の始まりは三国志の舞台となる時代より数百年さかのぼります。

その頃中国は,秦という王朝に統一されていました。かの有名な始皇帝です。

学校の授業で習いましたよね?

しかしながら,この王国は長い間続かず,劉邦によって滅ぼされてしまいます。

この劉邦こそが後漢の前身である前漢の創設者にして,初代皇帝なのです。

この王朝,約200年ぐらい続くのですが,暗愚な皇帝が続き西暦8年,王莽(おうもう)という人物によってのっとられます。

こうして,新という王朝が設立するのですが,一代限り15年ほどしか続かず,動乱となります。

これを平定し,漢王朝を立て直したのが,劉邦から数えて9代目の子孫である劉秀です。

西暦25年劉秀は皇帝に即位し,漢王朝を復興します。。

この復活した漢王朝と劉邦の立てた漢王朝とを区別するため,前者を後漢,後者を前漢と呼んでいます。

ちなみに劉邦は「漢の高祖」,劉秀は「光武帝」と呼びます。

 こうして出来た後漢王朝だが,皇帝がしっかり統治していたのは,最初の三代まででした。

四代目がわずか11歳で即位すると,実権は皇帝の母方の実家,つまり外戚が握るようになります。

日本で言う藤原氏のようなもの。

以降は,幼い皇帝,中には生後100ヶ月に満たないような皇帝まで登場するようになり,皇帝は完全に飾り物となってしまう。

 皇帝が単なる飾り物になると,官僚たちもやりたい放題となります。

さらには中国の宮廷には宦官という存在がありました。

皇帝や皇后の身の回りの世話をする男たち,つまり側近である。

彼らは生まれつき生殖器を切除されており,財を蓄えることや,権力を握ることにばかりを行うようになる。

皇帝が生まれたときからそのそばで面倒を見ているので,皇帝がいちばん頼りにするのは宦官でした。

そこに漬け込み,自分たちの意のままに皇帝を動かし始める宦官が現れはじめます。

こうして,外戚,官僚,宦官たちが,それぞれ好き勝手に動き,それぞれの私利私欲を追い求めるようになりました。

上が乱れれば,下も乱れる。各地の役人たちも腐敗し,賄賂をもらうのは当たり前。庶民の暮らしは厳しくなる一方でした。

そんな世の中に対しこれでいいのかと奮起したものたちがいました。

それこそが黄巾の乱をおこした,黄巾軍である。



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